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用語の定義 | 間違いだらけの手話コーラス

手話コーラスは意外とマンガに出てこない

まず、マンガでは手話コーラスがどのように扱われているかを紹介したい。
なぜマンガの話から始めるのかというと、ここはもともと聴覚障害者マンガを扱っているサイトだからです。マンガに出てくる手話コーラスについてチェックしてみたら、以下のような事がわかったのです。これをとっかかりとして、手話コーラスについていろいろと調べ始めたのでした。

手話コーラスが出てくるマンガは一つしかない

手話コーラスが出てくるマンガはたった一作品、「きこえますか愛!」(星野めみ)しかない。
範囲を広げて手話歌も含めるとしても、最近に出てきた「みんなのこえが聴こえる」(岩崎弘美・原作 アツキヨ)でやっと一つ増えるだけにとどまる。最近まで、手話歌・手話コーラスを扱った作品が本当にたった一つしかなかったのである。

この事実は、手話コーラスをやっている人たちにとっては、けっこう衝撃的なものではないかと思う。「いくら何でも、もう少しはあるんじゃないの」と思いたくなるだろう。
「手話コーラスって、まだまだ知られていないんだな」と思った人、そう結論づけるのは早計だ。手話コーラスがマンガに描かれない理由は、全く別なところにある。

音楽を扱った聴覚障害者マンガをチェックしてみる

まず、以下のリストをざっとでいいから見てほしい。聴覚障害者マンガのデータベースから、音楽がテーマにからんでくる作品をピックアップしたものだ。年代順にならべてある。

音楽がテーマにからんでくる聴覚障害者マンガのリスト
1956年「ちこの牛乳屋」横山光輝
1962年「おはよう!ミーコ」横山光輝
1969年フォルテシモで飛びたて!」矢代まさこ
「ピグマリオン」岡田史子
1970年「遠い賛美歌」山岸凉子
1971年「コンチェルト“愛”」牧美也子
1974年「戦場交響曲」松本零士
(1977年に「手話コーラス」が世に初めて紹介される)
1977年「SWAN ―白鳥―」(オデットはだれに?の巻)有吉京子
1978年きこえますか愛!」星野めみ
1981年「明日は月の上」川崎ひろ子
「あなたにだけ聞こえる」麻原いつみ
1985年「パズルゲーム☆はいすくーる」(光線のメロディの巻)野間美由紀
1987年ルードウィヒ・B」手塚治虫
「仰げば尊し!」(縁の下の力持ちの巻)所十三
1989年「あいつはアインシュタイン」(第二話 ストラディバリウスの調べ)
  石垣ゆうき/原作:宮崎まさる
「代打屋トーゴー」(第232話 カルテットの熱き思いに)たかもちげん
1991年わが指のオーケストラ」山本おさむ
1992年君の手がささやいている」軽部潤子
1997年救急ハート治療室」(カルテ11 わたしからの言葉)沖野ヨーコ
1998年ダーク・エンジェル」(OPE.33 魂の旋律)風間宏子
神童」さそうあきら
2001年きみの声 ぼくの指」横谷順子
2002年神戸在住」木村紺
2004年「みんなのこえが聴こえる」岩崎弘美 原作:アツキヨ

全部で二十四作品。この中で手話歌・手話コーラスが出てくるのは二作品しかないのはすでに述べたとおり。
こうして見ると、「きこえますか愛!」はかなり早い時期に手話コーラスを紹介していることがわかる。1977年で手話コーラスが世に紹介された、その翌年に出た作品なのだ。しかし、手話コーラスを描いたマンガはこれっきりで途絶えてしまう。

※ 1977年に手話コーラスが紹介された件は「手話歌・手話コーラスの歴史」の中の「手話コーラスの起源」の章に述べる。

手話コーラスが出ていてもおかしくないマンガを検証してみる

このリストを見ると、手話や聴覚障害者の問題に精通したマンガ家・マンガ作品が三つあるのがわかる。山本おさむの「わが指のオーケストラ」と軽部潤子の「君の手がささやいている」、横谷順子の「きみの声 ぼくの指」である。

この三者なら、手話コーラスのことは当然知っているはずだ。そして、作品の中にも音楽がテーマにしっかりからんでいる。出そうと思えば、手話コーラスを出すことができるのだ。にもかかわらず、手話コーラスのことは何も描いてない。
他のマンガ家なら、単に知識不足で描かなかったのかも知れないが、この三人のマンガ家に限っては、手話コーラスを知らなかったのではなくて、知っていてあえて描かなかったのだと断定できる。

山本おさむ「わが指のオーケストラ」

[「わが指のオーケストラ」第二巻表紙]

山本おさむの「わが指のオーケストラ」は、戦前のろう教育につくした高橋潔の話であって、手話コーラスがテーマじゃないから出てくるはずがない、という反論があるかも知れない。
が、残念ながらその反論は認められない。現在残っている文献で確認できる、最古の手話歌を作ったのがその高橋潔なのだから。「わが指のオーケストラ」の中では紹介されてない話ではあるが。

実は、山本おさむの趣味は音楽なのだ。これは「Hey!! ブルースマン」というミュージシャンのマンガを描いている事でも察せられよう。

さそうあきら「神童」

そして、さそうあきらの「神童」もまた、手話コーラスを描いていない。この作品で、手塚治虫文化賞優秀賞・文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞している。
実は、これこそが手話コーラスを描いててもおかしくない作品なのだ。

[打球音で位置を指示するうた] 「神童」(双葉社) 第二巻 160頁より

「神童」の主人公は、ピアニストの天才少女・成瀬うた。近所に住む菊名和音という音大生を相方にして、ストーリーが進む。このマンガのはじめのほうでは、音に対する感受性のすごさが描かれている。例えば、野球のピッチャーをやってて、相手の打球を聞いただけで、野手に正確な打球の位置を指示してしまう。
そして、終わりに近いほうで、メニエール病で失聴する。

このマンガは音楽について、かなり深い世界を描いている。例えば、奏者の座る椅子を代えるだけでもピアノの音が変わることを描いている。実はこれは、失聴後の再起につながる伏線にもなっている。
さて、失意の成瀬うたに立ち直るきっかけを与えるのがろう者である。ろうの子供に音楽を教えるワークショップに連れられ、ここでうたは音を取り戻すきっかけを得る。

[ワークショップで音を知るうた] 「神童」(双葉社) 第四巻 180頁より

音楽が重要なテーマになっているだけに、ここでヘタに手話コーラスを出していたらぶち壊しになってしまっていただろう。まっ正面から音に向き合う姿勢をつらぬき通す事で、「神童」は傑作となった。

このマンガの巻末に、協力してくれた人への謝辞が書かれている。その中で聴覚障害者関係に、佐藤慶子(聾の子供の音楽教育について)と米内山明宏(聾者のパフォーマンスについて)の名前があがっている。
ちゃんと取材した上での作品なのだ、ということがわかる。

結論

以上から、こういう結論を出すことができる。

山本おさむ、さそうあきら、軽部潤子、横谷順子、この四人のマンガ家は「手話コーラスは音楽ではない」と判断した、ということなのだ。特に、音楽に詳しい山本おさむとさそうあきらの二人が、手話コーラスをあえて描かなかった、この事が持つ意味は決して軽いものではない。

「手話コーラスがきらいな人がいるから、マンガで出すのを遠慮されているのだ」という理由も、もちろんある。が、これだけでは理由としては弱すぎると思う。必要なら、両論併記でもいいのだ。「手話コーラスを好まない人もいる」と断りつつ、手話コーラスというのがある事を紹介してもかまわない。実際、手話コーラスを紹介している図書では、「好まない人もいる」と併記しているものがある。が、マンガでは両論併記したものは全くない。
そもそも、手話コーラスがきらいな人がいる理由は、手話コーラスが音楽を伝えるものになっていないからなのだ。結局、上記の結論に集約できてしまう。


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