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手話歌・手話コーラスの歴史 | 今後のための提言

手話歌のコンテスト

手話歌のコンテストというのがある。
あまり一般には知られてないが、手話歌や手話コーラスに対する影響力の点では無視できないものがあるので、ここに取り上げたい。

過去のコンテストの実績

これまでにおこなわれた、手話歌・手話コーラスのコンテストの実績を記録として残したいと思います。
調べてみたところ、これまた記録が全然残っていないというありさまなのです。

東京都手話コーラスコンテスト

第一回 1996年12月8日(日) 
優勝 きいろぐみ
第二回 1997年12月7日(日) 
優勝 ひよこっち
第三回 1998年12月6日(日) 
優勝 該当者なし

東京都障害者福祉会館(港区三田)で、障害者の日記念「ふれあいの祭典」の中の一イベントとしておこなわれていたもの。参加資格は「都内の手話サ-クルで、手話コ-ラスに興味のあるアマチュアの団体」となっている。持ち時間は一団体10分で課題曲と自由曲の二曲を表現。

審査委員長としては東京都福祉局長の石川雅巳氏がつとめ、他に審査委員として越智大輔(東京都聴覚障害者連盟 事務局長)、朝倉まみ(手話シャンソン歌手)、井上勝子(手話ダンス協会副会長)がいた。司会は森本行雄(日本手話通訳士協会)。
審査委員の越智さんの話によると、審査基準は次のようなものだったらしい。

これに加えて、

  1. 手話をきちんと取り入れていること
  2. 「歌の楽しさが伝わる」表現にいい点をつける
  3. 単に歌詞を手話に置き換えただけのものは減点
  4. 手話を無視してボディパフォーマンスに走ったものは減点

さて、第一回では「きいろぐみ」が圧勝だった。
レベルが他と違いすぎたため、審査委員の中では「別扱いにすべき」「一緒に表彰すべき」という点でもめたという。結局、一緒に表彰することになった。
この影響からか、第二回・第三回では他の団体もぐんとレベルアップしたそうである。

第二回優勝の「ひよこっち」も、実は「きいろぐみ」とかかわりのある団体である。聞こえない子供たちが中心になって活動している団体だ。「ひよこっち」を率いているリーダーが、「きいろぐみ」のメインボーカルなのだ。

しかし、第三回目ではあまりにも「きいろぐみ化」が進んでしまい、きちんとした手話表現をおろそかにするグループばかりだったため、あえて優勝を「該当なし」としたとのこと。

手話ミュージックコンテスト

鳥塚のり子のオープンハートコンサートの中に、手話ミュージックコンテストを毎年やっている。場所は中野サンプラザ大ホール。

第一回 2000年3月12日 
情報がないので不明
審査員が判明したので追記[2008/07/17]
審査員:永六輔氏、丸山浩路氏、米内山明宏氏、鈴木隆氏、鳥塚のり子氏等
第二回 2001年3月20日(祝日) 
優勝 「BELIEVE」Native Signer Class(のちにDeaf-Unitと改名) 5名(聴障4名)
準優勝「忘れ物番長」Peek-a-boo+pure 5名
特別賞「つつみ込むように」S.L.D 7名(聴障1名)
 〃 「輝く明日へ」手話ダンスを楽しむ会 12名(聴障6名・車イス6名)
 〃 「星降る街角」佐井悦子 1名
第三回 2002年3月21日(祝日) 
優勝 「ひとり D-U Remix」Deaf-Unit 5名(聴障4名)
準優勝「All For You」JAVolution 5名(聴障者4名)
特別賞「りんご節」弘前ねむの会ファミリーコーラス 40名(障害者3名)
 〃 「学園天国」チカミカ 4名
 〃 「友達はいいもんだ」中野区手話ダンス協会 32名(障害者7名)
第四回 2003年3月21日(祝日) 
優勝 「愛のビッグバンド」東京都立野津田高等学校手話部 26名
準優勝「狙いうち」むすめ座 4名
特別賞「吹雪(フギ)」弘前ねむの会ファミリーコーラス 12名
 〃 「島唄」日本社会事業大学手話サークルてまり 24名
 〃 「森の水車」森の天使 10名(聴障6名)
第五回 2004年3月20日(土・祝日) 
優勝 「幸せ」西澤祐子 聴者1名
準優勝「世界にひとつだけの花」エンジョイキッズ 28名(聴者25名/聾者3名)

実は、このコンテスト結果はどこにも公表されていない。コンテストを募集しているウェブサイトにすら、ないのだ。開催している事務所「オフィス・オープンハート」に最初は電子メール、次に FAX で問い合わせてみたが、いずれも回答はなかった。
あちらにとって、そんなに都合の悪い質問なのだろうか? 少なくとも、全国に呼びかけて参加を募った上でコンテストをやったんだから、その結果発表をすることぐらいは、最低限はたすべき責任だと思うのだが……。

さて、このコンテストは手話コーラスではなくて「手話ミュージック」のコンテストとなっていることからもわかるように、手話コーラスという狭い枠にこだわらず、新しい手話表現を模索していこうという指向が感じられる。
実際、一人だけの参加者もいくつか見られるし、聴覚障害者中心のグループが何度か優勝してさえいる。

ところで、聴覚障害者中心のグループが優勝していることをもって、「聴覚障害者は手話がうまいから有利なのはあたりまえだ」という意見の人がいるらしい。第四回目でも、このグループが参加しているのに入賞すらしていないのは、こうした意見の人に配慮した結果だ、という話を聞いたことがある。それも、複数の全く別なソースからである。
聴覚障害者が本来不利なはずの音楽の世界で、健聴者に伍して優勝できること自体驚くべき事であり、新しい手話ミュージックを生み出そうというコンテストの目的にもかなうはずだ。自分でコンテストの存在意義をみずから否定するようなことをするものだろうか?
しかし、第四回に優勝した野津田高校手話部は、実はオフィス・オープンハートが派遣した指導者で育成したものだという。もしそうだとすれば、事前から周到に準備してきた不正行為なわけで、かなり悪質だと思う。

この話が、事実無根であることを願いたい。
しかし、コンテスト結果を公表しない不透明な姿勢が、このような話になってしまう素地にもなっていることに、開催者に考慮してほしいと思う。

もうすぐ第五回のコンテストがおこなわれるが、その結果発表は、誰にでも確認できる形で残すようにしてほしいものだ。できれば、審査員の名前も公開してほしい。審査員が誰なのかで、そのコンテストの性格もある程度読めるからだ。公正を期するなら、ここまでやるべきだと思う。

追記:

結局、残念ながら第五回のコンテスト結果は公表されなかった。
その代わり、面白い情報が手に入ったので、紹介しよう。観客の動員状況だ。

第一回 
客席状況&特別ゲストは不明。
第二回 2001年3月20日(祝日) 
満場御礼(約1000名)&特別ゲスト「ワイルドワンズ」
第三回 2002年3月21日(祝日) 
満場御礼(約1000名)&特別ゲスト「ワイルドワンズ」・「加山雄三」
第四回 2003年3月21日(祝日) 
満場御礼(約1000名)&特別ゲストなし
第五回 2004年3月20日(土・祝日) 
会場の 1/3 に減少(約300名)&特別ゲスト「内藤やす子」

第二~四回では満員だったのが、第五回では 1/3 に減少したのだ。
この原因は二つ考えられる。

人気のある特別ゲストを迎えることができなかった 
「手話」そのものに関係している人が 1/3 で、「ワイルドワンズ」が目当てだった人が 2/3 だったそうです。つまり、手話歌に対する人気ではなくて、有名歌手に対する人気で会場を埋めていたのですね。(^_^;
第五回で、この本来の手話歌めあての観客だけが残ったわけです。
第四回の不公正な審査に対するボイコット 
第四回でろう者主体のグループが入選されなかった事について、「もう二度と出場しない」という人が増えました。これを聞いて「じゃ、見に行っても意味がない」と来なくなった客もいたそうです。

コレに続いて「このウェブページでの批判が効いた」というのもあげたい気はするけど、そこまでの影響力はないだろうなぁ。

さて、こうなると第六回があるのかどうか、微妙になってきた。
これがボランティアとか手話普及に力を入れている団体がバックについているコンテストだったら、採算度外視で開催されるだろう。しかし、このコンテストの場合はそうではない。手話歌の普及が動機の一つにはなっているだろうが、営利が第一の目的であることは明らかだからだ。
観客が 1/3 では、確実にもうけは出ていないと思う。もうからない以上は、これ以上続けても意味がない、そう判断する可能性が高い。

実際、手話ミュージックコンテストの募集をしていたウェブページが消えている。去年度では、コンテストの後でも表示されていたページなのに、である。この手話ミュージックコンテストは、この第五回で終わるのかも知れない。

さらに追記:

2004年度を最後として、以後開催されなくなりました。オフィス・オープンハートのウェブサイトは、たまに更新があるようですが、活動はしていないようです。

のり子のオープンハートコンサート

新潟しゅわるソングコンテスト

[2010年2月11日 追記]

2009年11月1日(日) 
優勝 新潟大学手話サークル レマン

実はこの手話ソングコンテスト、わからないところが多い。何しろ情報を公開しないし、こちらから問い合わせても、全く回答がないのだ。このコンテストについてわかっているのは、次のものしかない。

審査員は「プロの歌手と手話審査員」となっているが、「関東地方から来ていただいた」という審査員が誰なのかは公開されていない。新潟大学手話サークル「レマン」がどんな曲で優勝したのかも、不明。
後援団体を見ると、背後関係をいろいろと想像できるのだが……今はさておくとする。

問い合わせにいっさい答えない「ハンズ」

この「しゅわるソングコンテスト」に先だって、10月6日に電子メールで次の質問を出している。10月10日までに回答をお願いしてある。

  1. コンテストの出場資格および審査基準はどのようになっているのでしょうか。
  2. コンテストの審査員の名前を教えてください。
  3. 過去のコンテストの入賞者の具体的な名前を教えてください。
  4. そちらの言う「手話歌」というのは、耳の聞こえない人に音楽を伝えるためのものでしょうか。「はい」か「いいえ」の二択で回答願います。

こういう質問をする理由として、2003年にあった手話ミュージックコンテストの不祥事が念頭にあること、「しゅわるソングコンテスト」がそうした不公正なコンテストになっていないか確認したい、どのような対応を取っているのか知りたい、と説明してある。

しかし、回答は無かった。
これは、2003年に不公正な審査をおこなったオフィス・オープンハートと同じ反応だ。きちんとした説明をする気が、初めから無いようだ。

偽装 NPO 団体 ?

調べてみたら…… この手話レクチャー「ハンズ」は、どうやらまともな団体ではないらしい、とわかってきた。いろいろとおかしな点が出てきたのだ。

地元の聴覚障害者に聞いてみたら、この団体の評判は悪いとわかった。この手話レクチャー「ハンズ」がやっている手話の指導は疑問が多く、聴覚障害者団体が話し合いを申し込んでも、受け付けないという。
ここで、改めて先ほどの後援団体のリストを見てほしい。聴覚障害者団体の後援が無いことがわかるだろう。

手話レクチャー「ハンズ」は、NPO 団体だと自称しているが、NPO 法人団体ではない。少なくとも、この「しゅわるソングコンテスト」を開催していた時点では、どこにも NPO 法人団体として登録されていない。
理屈としては、法人格の無い「特定非営利活動団体」というのは考えられる。しかし「特定非営利活動促進法」という法律が設立された主旨は、非営利で公益的な活動をする団体が、従来よりも簡便に、自由に法人格を取得できるようにすることにある。法人格の無い NPO 団体というのは、要するに「自分は NPO だ」と自称しているだけの任意団体にすぎない。本当に非営利活動をしているのかを、誰も保証できないのだ。

手話レクチャー「ハンズ」のウェブサイトに団体の概要のページがあるのだが、ずっと「工事中」のまま放置されている。これでは、偽装 NPO 団体である疑いが、捨てられないではないか。NPO 法人団体だと誤解させるように仕向けて、自分に不都合な情報をわざと隠しているように見えるのだから。むしろ手話講習を生業とする「営利団体」だと考えた方が、手話レクチャー「ハンズ」の活動が理解しやすい。

さて実は、新潟県に「特定非営利活動法人しゅわるハンズ」の名前で NPO 法人団体設立の申請が出ている。申請日は、2009年12月22日となっており、「しゅわるソングコンテスト」より後の日付になっている。代表者も、同じ「小池 卓」となっている……のだが、事務所が違う。新発田市となっているのだ。手話レクチャー「ハンズ」の事務所は新潟市なのに。団体名も、似てるようで違うものになっている。これでは、団体としての継続性が怪しくなってしまう。「手話レクチャーハンズとは違う団体です」と、言い逃れができる余地を残しているのだ。
実際、特定非営利活動法人団体であっても、業界団体の広報宣伝活動の隠れ蓑にしたり、犯罪に関与したりするケースがある。きちんとした団体か、しっかり見きわめる必要がある。

今の時点では「特定非営利活動法人しゅわるハンズ」が手話レクチャー「ハンズ」の活動を引き継ぐものになるのかどうか、不明だ。何しろ、きちんとした説明をしないのだから。今後、「しゅわるハンズ」の名のもとでまっとうな活動をおこなう団体に生まれ変わるのかどうか、きちんと説明責任を全うする団体になるかどうか、見届けていきたいと思う。
そして、今後また手話ソングコンテストを開催するようなら、先にあげた質問を改めてぶつけてみたい。今度は、きちんと回答していただける事を望む。

しゅわるハンズが活動停止したもよう

[2012年1月23日 追記]

NPO 法人団体として発足してからは、手話歌コンテストは実施されてませんでした。代わりに新潟しゅわる映画祭を二回開催。聴覚障害者を対象とした映画を集めたイベントのようなので、しばらく静観していました。
映画「あぜみちジャンピンッ!」を世に出した映画祭です。

ふと気づいたら、しゅわるハンズのサイトが無くなっていました。
Google で調べたところ、新潟県女性財団の「にいがた女と男フェスティバル2011」(2011/6/25)を最後に、動きが見られなくなっている。
さらに、にいがたNPO情報ネットのデータベースからも削除されていた。(もともとこのデータベース、NPO として登録されてない団体が多数登録されてるという、アヤシイ代物なのだが)

最近になって理由が判明。2011年5月6日にツィッターでろう団体幹部クラスの方が「気になるサイトにぶつかった。『特定非営利活動法人しゅわるハンズ』…。組織の論理に従って動くべきか…。」というメッセージ。これが次々とリツィートされている。これが伝わったのだろう。
元メンバーが別の手話講習の団体を立ち上げていた(NPO 団体申請中)ので、しばらく様子見。


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