手話を使うサル

動物との会話は、人類の昔からの夢だった。

古代イスラエルの王、ソロモンは指輪を用いて動物たちと会話ができたという。「ソロモンの指輪」は、有名な動物行動学の学者コンラート・ローレンツの書名ともなっている。ヒュー・ロフティングの「ドリトル先生」は動物たちと会話する博物学者を書いた児童文学で、僕も子供の時に愛読したものだ。

そして今では、かなり限定的ではあるが、手話によってその夢が実際にかなえられている。
それが、手話を使うサルである。

作品紹介

60億のシラミ

[手話でさかんに訴える、サルのコーケン博士] 別冊少年チャンピオン 1979年3月号 掲載

飯森広一 1979年
別冊少年チャンピオン (秋田書店)

僕の知る限りでは、手話を使うサルを一番最初に出したマンガ。

「60億のシラミ」は、地球が氷河期に入るという予測が出され、人類がそれに対応していくというSFだ。
気象学者の敷島博士は、自分が作った氷河期予想モデルの計算式をコンピュータでなく人間の心で計算してほしい、という望みを出す。単純に機械で答を出すのではなく、計算の過程で氷河期による人類絶滅を回避する希望を見つけ出してほしい、という意図だった。非常に複雑な計算式だったので、並の人間には計算できない。

かくして、数学の天才というコーケン博士に依頼することになる。このコーケン博士が、チンパンジーなのだ。人の話を理解するし、手話で自分の考えを表現できる。
コーケン博士の手により計算式の答は出たが、人類の危機を回避する希望は見つからなかった。この絶望的な答にあわてているコーケン博士が、このカットである。

今だったら「地球シミュレータを使って、細かくパラメータ調整して何度も計算すればいいじゃないか」となるところだが、描かれた時代を考えてほしい。当時はパソコンなんてものがまだ一般的ではなく、「シミュレーション」なんて概念が知られていなかったのだから。

ここで、1979年という発表時期に注目してほしい。聴覚障害者マンガのエポックメーキングとなった「遥かなる甲子園」は1988年で、「60億のシラミ」はこれよりもさらに9年前。最初に手話コーラスを紹介した「きこえますか愛!」でも1978年、この翌年に出た作品である。手話が今ほど社会的に認知されていなかった頃の作品なのだ。

当時は、飯森広一が動物マンガの第一人者だった。「盲導犬プロメテウス」という、動物マンガとしてだけでなく障害者を描いたマンガとしてもかなりの傑作を書いている。最近の盲導犬を描いたマンガとして波間信子「ハッピー!」が評判を得ているが、その先駆的作品として「盲導犬プロメテウス」はもっと評価されて良いと思う。すでに絶版となった障害者マンガ作品を復刊するなら、その筆頭として「盲導犬プロメテウス」を推薦したい。

さて、現在では氷河期どころか地球の温暖化が問題になっており、その影響として、真夏日日数の記録を更新した測候所が続出し、台風が十度も日本に上陸されるという、気象上の新記録があいついだ(2004年現在)。ホントに大丈夫か、この地球は。

アイン

飯森広一 1980年
少年ビッグコミック (小学館)

天才的な知能を持つチンパンジーのアインが主人公だが、手話は使わない。人とのコミュニケーション手段は電子辞書で、そこに文字を入力して人に見せるわけだ。今だったら、ケータイを使う所だろうな。
サルの手はヒトとは形が違い、字を書くのは無理だとされているので、このマンガでは筆談は採用していない。

ほんのチョットしか出ていないが、手話を使う別のチンパンジーが登場している。

銀色のクリメーヌ

[「バナナ」の手話を学ぶクリメーヌ] ぶーけ セレクション 1989年 6/20号 掲載

清原なつの 1989年
ぶーけセレクション 6/20号 (集英社)

この絵の左側にいる少女が、チンパンジーのクリメーヌ。
本当はチンパンジーなのだが、このマンガではヒトの少女の姿で描かれている。クリメーヌ自身は、自分をチンパンジーでなくて人間だと思っている、その心理描写でもあるわけだ。
大島弓子「綿の国星」のチビ猫と同じ表現手段だな。

チンパンジーの言語学習を研究しているワシューだが、クリメーヌに深い愛情を持ち、耽溺してしまうという話だ。ハッピーエンドではない。

ケントの方舟

[アメスランをゴリラの子供に教える] ビッグコミックス「ケントの方舟」第3巻 200頁 小学館発行

作:毛利甚八 画:魚戸おさむ 1997年
ビッグコミックオリジナル 10/20号 (小学館)

サル学者の森野賢人(ケント)が東京都の区議員となり、「東京都にゴリラの森を作ろう」という荒唐無稽な政策を進める話。実はこのマンガのテーマは政治で、サル学の知識を政治に当てはめている。

アフリカで両親が殺されて孤児となった、ゴリラの子供を秘密で日本に連れ帰っている。もちろん、ワシントン条約違反であることは覚悟の上だ。このゴリラの子供を中心にして、人の輪が広がっていく。

この中で、アメスラン(アメリカの手話)を教えるシーンがある。これが、最終回につながる伏線となっている。

評論

類人猿の知能を調べる研究の中に、言語能力を調べる研究がある。

初めは声での会話を試みていたが、これはうまくいかなかった。発音器官の構造がヒトとは違っており、さまざまな発音を類人猿にさせるのに無理があったようだ。別な手段としてサインやシグナルを使ってコミュニケーションをはかるアプローチがあり、これは京都大学霊長類研究所でやっている。有名な天才チンパンジーのアイは、ここにいる。

さらに別のアプローチとして、類人猿に手話を教えてコミュニケーションの手段とする方法が試みられた。これはわりあいにうまくいった。けっこうコミュニケーションがとれることがわかり、ブームとなった。と言っても人間なみの会話は、類人猿の知能レベルからそもそも無理なのだが。しかし抽象的な概念で考えることも、ある程度できることが明らかになっている。

しかし、手話で語るチンパンジーの運命は良いことばかりではなかったようだ。今では言語実験が下火となっており、それとともに手話を学んだチンパンジーは捨てられる事になる。この辺の話をまとめた「悲劇のチンパンジー」という本が出ている。

清原なつの「銀色のクリメーヌ」は、この話をベースにしているのかも知れない。そのためか、霊長類研究所では、今は手話を研究の手段としていないようだ。アメリカでの研究例と混同して、ここでも手話で研究していると誤解している人がいるらしいが。

[「ウンコなげる!」と手話で主張するゴリラ] 「ニュースの牛」中川いさみ ビッグコミックスペリオール 18号 2004年掲載(小学館)

でもまあ、手話を学んだサルがすべて不幸な目にあっているわけでもないようで、Google で「手話 ゴリラ」で検索すると、手話で歯痛を訴えたゴリラが虫歯治療してもらったというニュースが、やたらにヒットする。このマンガは、その時にギャグマンガとして描かれたもの。