マンガ「遥かなる甲子園」

ろう学校の高校野球の話で、実際にあった話を元にしている。

一九八一年(昭和五十六年)に沖縄の北城ろう学校で野球部を創立。
沖縄では風疹の流行によって障害を持って生まれた風疹障害児が多発した。北城ろう学校はこの風疹障害児のために建てられた学校で、単一学年しかない。風疹障害児が高校を卒業すると同時に廃校となった。この高校の三年間しか存在しなかった高校野球部。
野球をやりたいというろう学校の生徒たちの望みは、しかし、高校野球連盟によってはばまれる。高校野球連盟に加盟できるのは普通校のみで、ろう学校は認めない、とされたのだ。

加盟を認めない理由は、学生野球憲章の「第三章 高等学校野球」にある次の条項だ。(この条項自体は今もなお変わっていない)

第十六条
それぞれの都道府県の高等学校野球連盟に加入することができる学校は学校教育法第四章に定めるものに限る。

学校教育法第四章とは普通高校と商業高校・工業高校などの職業高校のことで、ろう学校は学校教育法第六章に属している。つまり、この条項がある限り、ろう学校には加盟の資格がないことになる。
この他に、耳が聞こえないから野球は危険だとしたことも理由としてあげられていた。

[理不尽な条項に怒る校長の図] 「遥かなる甲子園」(双葉社)第2巻 92頁

ろう学校側は理不尽な規約に怒り、加盟を認めるよう努力するがなかなか進展しない。

この問題を障害者に対する差別として日本聴力障害新聞で取り上げられたことがきっかけに、全国のマスコミでも報道されるようになって、高校野球連盟の態度は変化する。そして二度の試験試合で野球をすることに危険がないことを確認した上で、ようやく加盟を認める。
こうしたマスコミの報道がなかったら、この野球部はこのまま埋もれてしまっただろうという。

[風疹障害児の虚弱体質を説明する図] 「遥かなる甲子園」(双葉社)第9巻 163頁

こうして普通校とおなじく公式戦で試合ができるようになった。
風疹障害児の虚弱な体質で体力が劣っていたため、はじめは試合のたびにコールド負けするありさまだったが、練習をつんで次第に実力をつけ、三年生になると練習試合では勝てるようになった。公式戦では悲願の一勝をあげることもできずに終わってしまったが、最後の試合では4対3と僅差だった。

作品紹介

「遥かなる甲子園」

山本おさむ 一九八八年「漫画アクション」

マンガの中では、「福里ろう学校」となっている。登場人物の名前も実際とは違うものに変えてある。

正直言って、聴覚障害者である僕にとっては、読むのがつらいマンガである。
沖縄の北城ろう学校野球部の実話を元にしているので、だいたいの話の流れは実際とほぼ同じだが、ストーリーはだいぶ違う。ではストーリーはまるきりのフィクションなのかというと、実はそうでもない。そこに出てくるエピソードの一つ一つは、ろう教育を受けた多くの聴覚障害児、そしてその子供を育てた多くの親たちにとっては、実際に体験した実話でもある。

[耳の聞こえない子を背負いつつ海の中を歩く母の図] 「遥かなる甲子園」(双葉社)第1巻 12頁

このマンガは、医者に「子供の耳は聴こえない、一生治らない」と宣告されてショックを受けた母が、幼い子をおぶいつつさまよい歩くところから始まる。
これは、かなり多くの聴覚障害児を持つ母が経験している。僕にも、夜中に急に母に背負われて夜道を歩いた記憶がある。その時の母は、僕とともに自殺するつもりだったそうだ。途中で犬に吠えられて怖くなり来た道を戻ったそうで、家に帰ってから、死ぬつもりなのに犬を怖がるのはおかしいと気づく。その時から、僕を育てる覚悟を決めたという。
言葉を教えるために、家具などに名前を書いた紙を貼るのも、実際にやった人が多い。僕の京都の実家には、今もなお天井などに貼り紙が残っている。

[物に名札を貼って言葉を教える図] 「遥かなる甲子園」(双葉社)第1巻 75頁

このように、ディテールの部分は実際にあったさまざまな体験を元にしており、その上でストーリーを作っている。
このマンガを評するときによく指摘されるのが「視座をろう者に移している」ことだ。この事は、山本おさむ自身が第3巻の中に書いた「ノンフィクションとフィクション」の文章でも次のように書いている。

私は漫画化にあたって、その視座を野球部員自身に移して、その感情をダイレクトに書いてみようと試みました。そのために私自身の創作が入り込み、“ノンフィクションを基にしたフィクション”という形をとることになりました。

[涙を流しつつ訴える部員の図] 「遥かなる甲子園」(双葉社)第2巻 125頁

このねらいはあたっており、ろう児たちの気持ちがダイレクトに伝わるようになっている。
前に紹介した「まぶしい風」「あの美しい瞳をみたか」のマンガ二編はどちらもろう学校教師の立場から見た形になっている。これと見比べると、「遥かなる甲子園」の方が読者に訴える力が、明らかに強くなっている。

[グラウンドにゴミをまく不良少年の図]「遥かなる甲子園」(双葉社)第3巻 125頁

フィクションだと指摘できるストーリー部分は、第3巻で不良少年が野球部の活動を妨害したりするあたり。ただし、不良が野球部の活動にからんだことは本当にあった話なのだが、内容はまるで違うものになっている。
第4巻の熊本ろう学校軟式野球部との試合、第6巻の米軍との乱闘騒ぎもフィクションだ。しかし、全くのウソというわけでもない。ろう学校の、沖縄の置かれている立場をよりよく理解できるように作られている。

そして第4巻に日本聴力障害新聞の記者が登場、八方ふさがりだった福里ろう学校野球部は新展開をむかえる。
第7~第8巻で試験試合の試合ぶりを描き、第9巻でようやく加盟が認められる。マンガでは高校野球連盟の中で激論の末にようやく認められたように描かれているが、実際は二度の練習試合の後(マンガでは一度だけとなっている)にすんなりと加盟を認めている。
まあ、このマンガ「遥かなる甲子園」では高校野球連盟はいわば敵役として描かれており、障害者の加盟を認めない頑迷ぶりを描くことによって日本学生野球憲章のおかしさを強調しているのだろう。

[決意する戸部良也の図] 「遥かなる甲子園」(双葉社)第9巻 126頁

加盟が認められた後は、ドキュメンタリー「遥かなる甲子園」を書いた戸部良也が取材する気になったいきさつを描いており、続いて山本おさむがマンガ化することになったいきさつを描いている。はじめは山本おさむは手話を知らなかったそうで、地元の手話サークルで手話を学ぶ。そして聴覚障害者の問題を調べていって「このハナシ…野球だけではすまない」と自覚する。

[「野球だけじゃすまないぜ」と語る山本おさむの図] 「遥かなる甲子園」(双葉社)第9巻 142頁

山本おさむはそして福里ろう学校の廃校後に、他の高校で野球部監督を続けていた伊波先生のところへ取材に訪れる。ここから福里ろう学校野球部最後の試合の回顧に入る。マンガでも実際と同じく、公式戦では勝てずじまいとなるが、伊波監督を喜びの胴上げする。

[監督を胴上げの図] 「遥かなる甲子園」(双葉社)第10巻 164頁

だが、これで終わりではなく、ろう学校卒業後に社会に出るが、そこでも苦労していく様が描かれている。ここはたぶん、戸部良也の続編「【続】遥かなる甲子園」を元にしているのだろう。
単純に胴上げのシーンでハッピーエンドにしないあたり、社会の中でろう者の置かれている状況をきちんと描き上げて読者に伝えようという意思が感じられる。

評論

前にも書いたが、この「遥かなる甲子園」でマンガでの聴覚障害者の描かれかたがガラリと変わった、一時代を画する名作である。

たぶん、「遥かなる甲子園」より前にも、聴覚障害者をマンガにきちんと描こうという試みはあったかも知れない。しかし、編集者を説得しきれないまま企画の段階でつぶれてしまったのだろう。それが、「遥かなる甲子園」の後には聴覚障害者をきちんと描いた良いマンガ作品が続出するようになった。
「遥かなる甲子園」という実物を示すことによって、実際に聴覚障害者をテーマにして良い作品が描けるのだということを編集者に説得できるようになり、それまで企画の段階でつぶれていた案が通るようになったのだと思う。

「泣かせ」が多い、という評はよく聞く。たしかに、僕もそう思う。
「泣かせ」がくどいことをマイナス評価する傾向があるが、しかし、僕はこのマンガに限ってはこれで正解だと思っている。山本おさむも、承知の上であえてやっているはずだ。
聴覚障害者の悲しみを読者に伝えようとしている以上、話が重くなってしまうのはさけられない。ここは開き直ってあえて泣かせに徹するしかないのだ。話の作りようによっては明るくユーモラスに作れるはずだ、と考える向きもあるだろう。しかしそれでは底の浅いものとなってしまい、これほどの名作には仕上がらなかったはずだ。
それに、泣かせもまたりっばな娯楽なのだ。マンガに感情移入し、感動をともにして泣くことによってカタルシスが得られる。山本おさむは、これをねらっている。
説経節「小栗判官」を調べてみて、日本古来の伝統芸能に泣かせがかなりあることを知った。それ以来、僕は泣かせを必ずしも否定的には考えなくなっている。これについては、いずれ稿を改めて書きたいと思う。

実をいうと、こうした聴覚障害者をきちんと書いた傑作は少女マンガの分野から出るだろうと予想していた。元々、こうした人と人との気持ちのつながりを描くことにおいては少女マンガの得意分野だったはずだから。実際、マンガの表現能力においては少女マンガが一番進んでいた時期もあった。
しかし今ではそうでもなくなっている。他のマンガ分野での表現能力がレベルアップしたのだから。だから「遥かなる甲子園」が世に出たのだろう。
さはさりながら、「遥かなる甲子園」の後に出た聴覚障害者を描いたマンガに少女マンガが多いことは、僕の予想はあながちハズレでもなかったのだと思う。

このマンガには手話がよく出てくる。もちろん、手話を紹介するのが目的のマンガではないので、手話での会話をいちいち描いているわけではない。それでも、僕の見たところ手話表現はおおむね合っていた。
もっとも、手話にも方言はある。沖縄独特の手話表現もあるはずだが、それらしいものは見あたらなかった。僕の見たところでは、東京周辺の手話表現になっていた。まあ、健聴者の会話でも沖縄弁ではなく標準語だったから、これはしようがないかも知れない。

さて、前に福井ろう学校の軟式野球部の件で改められたはずなのになぜ北城ろう学校野球部で繰り返されたのか、という疑問を書いた。これについて調べてみた。
日本学生野球協会のサイトで、日本学生野球憲章を参照できる。PDF文書も用意されているから、きちんと調べたいかたはこちらをダウンロードした方がいいだろう。これを見ると、問題の第十六条はまったく改められていないことがわかる。
では、何をもって北城ろう学校野球部の加盟を認めたのか?

その答は日本野球憲章の中ではなく、別の「加盟に関する規定」という文書にある。
日本高校野球連盟のサイトに「加盟に関する規定」がある。ただし、普通にトップページからはたどれない。直接ドキュメントを指定しないと閲覧できない。(この稿を公開した時点ではリンクをたどれなかったが、今は閲覧できるようになっている) MS Word 文書になっている。
たしかに、7番目の項目に「特殊学校野球部の取り扱い」があり、「全日制高等学校と同様の承認手続きを行う」とある。
が、この「加盟に関する規定」全体を読んでみて、いかに日本高校野球連盟が場当たりに対応してきたかが見えてきてあきれてしまう。
1番目の「加盟校」の規定、これはいい。が、2番目に「分校の取り扱い」、3番目に「定時制の取り扱い」、4番目に「通信制高等学校野球部の取り扱い」、5番目に「単位制高等学校の取り扱い」、6番目に「高等専門学校野球部の取り扱い」、7番目は前述の通り、8番目に「外国人学校野球部の取り扱い」、9番目に「中等教育学校の取り扱い」。
規定外の配慮に次ぐ配慮なのだ。これほどたくさんの例外扱いを認めるくらいなら、問題の第十六条を改めたほうがよっぽどスジが通るではないか。
おそらく、この不合理さは日本高校野球連盟自身も承知しているのだろう。だから「加盟に関する規定」は普通に閲覧できないようになっているのだと思う。

まあ、北城ろう学校野球部のような障害者差別は、もう二度と起こらないだろうとは思う。こうして規定に明記されていることだし、福井ろう学校軟式野球部と北城ろう学校野球部の経験で、ろう学校単独では威圧的に出るくせに、いったんマスコミと全国的な障害者団体の動きになってしまうととたんに弱腰になる体質があることが知れわたってしまったからだ。
それにしても、この矛盾する条項はなんとかならないものだろうか。

追記

[2010年10月24日]

野球憲章は、2010年2月24日に全面改正された。
禁止則によって選手たちを縛る旧憲章から、選手のもつ基本権を保障するものとなったという。不服申し立てのルールの明確化もされている。プロとアマとの交流の解禁、特待生の問題などが背景にあるようだ。

ろう学校野球部に起きた加盟校の問題については、第3条 (2) で次のように明記されている。

イ 高等学校野球連盟に加盟できる学校は、原則として、学校教育法で定める高等学校とし、日本高等学校野球連盟は、日本学生野球協会の承認を得て、高等学校野球連盟に加盟する資格および基準を定める。

これにより旧規定にあった多数の例外扱いはなくなり、一律に高等学校なら加盟は認められる形になった。もっとも、条文にわかりにくいところがあり、「高校野球連盟に加盟する資格および基準を定める」となっており、資格については別途定める形になっている。
参加資格規定
方針次第で、また扱いが変わる可能性があることが指摘されている。