マンガの中の聴覚障害者 ↑トップページへ
収集したマンガのリストを整理してみると、意外なものが浮かび上がってくることがある。
積極的に聴覚障害者を描いているマンガ家として山本おさむ・軽部潤子がいる事は、聴覚障害者問題に関わり、かつマンガを読む人なら知っている方が多いだろう。しかし、これに並んで本宮ひろ志をあげると、驚かれると思う。
本宮ひろ志の作風は硬派・暴力といったイメージが強く、下品と嫌う向きもある。以前、少年誌に連載していた当時の代表作が「男一匹ガキ大将」「硬派銀次郎」と、タイトルからして硬派だったしケンカの描写も多かった。現在は活動が青年誌に移っており、「サラリーマン金太郎」というヒットを出している。これも主人公が元暴走族連合の頭という設定だ。
娯楽作品としてマンガを描くマンガ家であり、障害者をテーマにするとはとても見えない。が、ろう者を出したマンガがいくつもある。こちらで把握している範囲で四編、これを紹介する。
1972年、少年サンデー掲載 ホームコミックス 本宮ひろ志傑作集・3「春爛漫」(集英社) 311頁
かなり初期の短編。
小さな村のおじいさんの所にろうあの少女、まり子があずけられる。家は金持ちなのだが、娘を恥じて屋根裏部屋に入れて人前に出さないように育ったため、笑うことも怒ることも、泣くことも知らないお人形のようになった。おじいさんは近くに住む少年、太吉にまり子の世話を頼み、懸命に面倒みるようになる。しかし、なかなか感情を見せないまり子だった。ある日、まり子は舟遊びで渦巻きに巻き込まれる。まり子を助けようと太吉とおじいさんが海に飛び込む。まり子は助けられたが、おじいさんは亡くなる。
で、ここからが山場で、気を取り戻したまり子はそばにあったおじいさんの亡骸を平気で踏んで歩いていく。これを見た太吉は怒ってまり子をひっぱたく。これがきっかけになってまり子は変わり始め、感情を見せるようになり太吉と仲直り……。
とまあ、こういうあらすじだ。
このマンガの視点は健聴者からのもので、ろうあ者の描写は表面的でもの足りない。聞こえない人へのコミュニケーションの工夫は全くなく、平気で声で話しかけている。補聴器の描写もないし、寝るときにこもり歌を歌ってやったりもしている。聞こえないのに歌を歌ってどうなる?と思うのだが。太吉がひっぱたいてまり子が変わり始めるシーンも、なんだか「奇跡の人」のシーンに似ている。
作品としては類型的でとりたてて見るほどのものでもない。この作品の価値は、まり子のようなろうあ者がいることをマンガに出した点だろう。耳が聞こえないのと親が教育を放棄したために情緒教育ができず、感情を見せない子供になってしまった、そういう少女をマンガに出したのは、掲載当時としてはかなり珍しい。
1976年、プレイボーイ掲載 ホームコミックス 本宮ひろ志傑作集・19「俺の空」(集英社) 第1巻 276頁
日本屈指の大財閥・安田家の御曹司である一平が、嫁探しに旅をする物語である。この中に、言語障害者が出てくる章がある。
倒れていたところを飯場の娘・あきちゃんに助けられる。あきちゃんは失語症でしゃべれないが、そこで働く男たちに愛され可愛がられている。しかし、別荘の金持ちの兄妹が傲慢な人間で飯場の人たちを見下し、兄はあきちゃんを強姦したりする。これに怒った一平は、それまで隠していた身分・安田財閥の御曹司として、別荘のパーティに姿を現す。それまでただの作業員と思っていじめていた兄妹たちが驚きあわてるのを後目に、あきちゃんにダンスを申し込む。
この後一平はあきちゃんにプロポーズするが、同じ飯場に働いていてあきちゃんを思っていた男が「きさまに渡してたまるか!俺があきちゃんを幸せにするんだ」と告白。気持ちを知っていたまわりの男たちが手荒く歓迎、結局振られた形になった一平はおとなしく引っ込み、また旅を続ける。
「水戸黄門」なストーリーではある。ふだんは身分を隠して旅をしているが、いざとなると大財閥の身分や財力を使って困っている人たちを助け問題を解決してしまう。
1994年、スーパージャンプに掲載 ジャンプ・コミックス デラックス「夢幻の如く」(集英社) 第11巻 169頁
織田信長が本能寺で死なず、世界統一まではたすという架空世界の話。
世界統一に乗り出す手始めに、満州で女真族の愛新覚羅ヌルハチ(実際の歴史では清朝初代の皇帝となる)と手を結ぶ。その後モンゴルに入り、客として村々に入り民衆ととけ込み、全モンゴルを自分のものとする。このモンゴルが、世界統一のかなめとなる。
モンゴルで、付き人の蘭丸がモンゴルの村娘と結ばれることになる。この娘がろうあ者だ。
この蘭丸とろうあの娘は、このマンガの中では脇役にすぎず、物語の本筋とはあまり関わらない。
1994年、ヤングジャンプ掲載 ヤングジャンプ・コミックス「サラリーマン金太郎」(集英社) 第2巻 21頁
二千人の大暴走族「八州連合」の頭だった矢島金太郎がヤマト建設の会社員となる。金太郎の亡き妻・明美は全盲だった。
さて、金太郎はヤマト建設の大和会長の別荘で、そこのお手伝いさんをやっている晴美さんが明美に似てると気づく。この晴海さんがろうあ者で、相手の口を読むことができる。主人の会長と会話するシーンもあるので、簡単な会話程度なら口話もできるのだろう。手話は無く、金太郎との会話は筆談だ。
この後、晴美はお手伝いさんを止めて田舎で見合いする前に金太郎の家へ立ち寄る。たまたまその日が亡妻・明美の命日だった。金太郎に想いを伝える手紙を残して、田舎に帰る。
厳密には、「俺の空」に出てくるのは失語症であってろうあ者ではない。しかし言葉を自由に使うことができない障害者として他と共通するものがあるという事で、ここにあげている。
ろうあ者を描いたマンガとしては別に大したものではなく、内容にあまり深みが感じられない。特に近年の「夢幻の如く」「サラリーマン金太郎」二編は、ろうあ者として登場させる必然性すらないものだ。ろうあ者として出していてもいいのだが、ろうあ者でなくてもマンガとしての内容には影響しない。
ところが、この四編を集めて読んでみて気がつくことがある。
出てくるろうあ者はいずれも女性で、しかも年代順に成長している。最初に出てくる「涙さん こんにちは」では小学生ぐらいの少女で、「俺の空」ではもう少し成長した娘となっている。そして「サラリーマン金太郎」では成人女性である。これらは同一人物をモデルにしているのではないか?
「俺の空」を除く三つには、髪型などに共通したものを感じる。「俺の空」の女の子だけが他と少し違うが、ろうあ者ではなく失語症としているために、キャラクタが元々のモデルから離れたものになっているのだと考えられる。
そういえば、本宮ひろ志の住んでいる千葉県市川市には、筑波大学付属ろう学校がある。知人の中にろうあ者がいてもおかしくない。そう考えると、本宮ひろ志がこのマンガを描いたのも納得できそうな気がする。
人とのコミュニケーションがとれなかったろうの少女を何かの機会に知り、いささか感じるところがあってこれをマンガにしたのが「涙さん こんにちは」だろう。そしてその後も付き合いは続いており、知り合いのよしみで自分のマンガに登場させたのだと思う。だから、ろうあ者である必要のないキャラクタでもあえてろうあ者として出したのだろう。
となれば、このモデルが一体誰なのか気になるところではある。
キャラクタの描き方から見て、家族ではなさそうだし、親戚でもなさそうだ。身近にいる人だったら、もっと具体的な描写になるはずだから。ろう学校の地元というつながりで知己を得た、というのが一番ありそうな線だろう。これ以上は判断の元となる材料がないので、何とも言えない。
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