君の手がささやいている

女性マンガ誌に十年間も長期連載された人気作品で、聴覚障害者が主人公となっているマンガとしては最長編のもの。三つのシリーズからなっており、単行本で全二十六巻ある。
テレビドラマ化して放送もされた。

作品紹介

「君の手がささやいている」全十巻
軽部 潤子 mimi (講談社) 一九九二~一九九七年
「新・君の手がささやいている」全十三巻
軽部 潤子 kiss (講談社) 一九九七~二〇〇〇年
「君の手がささやいている 最終章」全三巻
軽部 潤子 kiss (講談社) 二〇〇〇~二〇〇二年
[「君の手がささやいている」シリーズ全二十六巻をならべた写真]

三つの作品からなっているシリーズという体裁になってはいるが、「君の手がささやいている」と「新・君の手がささやいている」は内容的には連続した作品。掲載誌が変わったために、別作品扱いになっている。

「君の手がささやいている」第一巻は、ろうの武田美栄子がOL時代に健聴の野辺博文と知り合い、結婚するまでの恋愛ドラマ。
第二巻は、結婚してから子供を生む話。
第三巻以降「新・君の手がささやいている」第十三巻まで、娘の千鶴を中心としたホームドラマとなる。

「最終章」は、それまでとはうって変わった内容となる。娘の千鶴が失聴するのだ。そして人工内耳の手術・そのリハビリテーションの話となる。

評論

最長編なだけに、全部読み通すのに時間がかかった。読むだけでも大変なのは事前からわかっていたので、なかなか手をつける気にならなかった。以前に読んではいるんだけど、うろ覚えで評論を書くのはさすがにマズイ。僕は評論を書く前に必ず再読することにしている。世の中には、読まないで評論を書く手合いがいるらしいけど。
……と、とりあえず、全巻読んだぞ。

僕はテレビドラマの方は、全く見ていない。べつに、何かの意地とか思想的な理由で見なかったわけではない。単に、テレビを見る習慣が僕にはないのだ。
ウチにテレビがあることはあるんだが、実質的にはゲーム専用となっている。近年に字幕付番組が増えてきてはいるし、そうなるように活動もしてきた。でも、字幕付番組が増えるようになる以前からすでに、テレビを見る習慣をなくしてしまった。
テレビ局がもっと早くから字幕対応してくれれば、僕はまだテレビを見続けていたかも知れない。でも、テレビを見る習慣をなくした今では、字幕付の番組でさえ面白いと感じなくなってしまった。たぶん、テレビを見る習慣はもうもどらないと思う。
だから、ここではテレビドラマの方は無視して、マンガ一本で行く。テレビドラマで人気を得た作品であることは承知だが、本当に見てないのだからしかたない。

たぶん、最初はこれほど連載が長期化するとは考えていなかったのだろう。
よく見ると、第一~三話、第四~五話、ここまでで第一巻分。第六~十一話で第二巻分とストーリー内容を分けることができる。最初は、読者の反応を見ながら短期連載を繰り返していたのだ。そして人気を得たために、長期連載となっていく。
ちなみに、後で発行する単行本にあわせて連載のページ数を決めるのはよくあることだ。だから、第一巻・第二巻ときれいにストーリー内容を分けられるのは偶然ではない。

すでに山本おさむ「遥かなる甲子園」が人気を勝ち得てはいたが、女性マンガの分野でまっ正面から聴覚障害者を描いたマンガはそれまでに無かった。女性マンガでの人気作はこの「君の手がささやいている」が最初となる。

さて、第三巻からホームドラマに変わる。これが最後までずっと続く。
最長編ではあるが、基本的には各話で独立した話になっており、いろいろなテーマが取り上げられている。全部取り上げることはできないので、ここではいくつかにしぼる事にする。

実在のモデル

実は、このマンガのモデルとなった野辺夫婦のことを個人的に知っている。
結婚する以前から武田美栄子、野邊博文を知っていた。難しい字なのでマンガでは「野辺」となっているが、実際のモデルは「野邊」だ。

東京都世田谷区で、武田美栄子さんとは聴覚障害者協会の役員・手話講習会の運営委員としていっしょに活動していた。美栄子さんが野邊博文さんとつきあっていることも知っていた。
僕は世田谷区から外に引っ越してしまった。野邊夫婦もいったん区外に引っ越したが、今は世田谷区にもどっている。

で、実際の野邊夫婦を知ってる僕から見ると、マンガの野辺夫婦は実物とはけっこう違う。単一のモデルだけで作っているのではなく、他の人の例も参考にしている。
そのまま描いてるわけではないことは、「君の手がささやいている」第九巻の後書きでも出ている。

野邊夫婦に了解を得たので、実際の野邊さんのことを書こう。
マンガでは、同じ会社に勤めていてそこで出会った事になっているが、実物は違う。野邊博文の本職は消防士、武田美栄子は区役所勤務。二人が出会ったのは世田谷区手話講習会。マンガでは子供は千鶴一人だけになってるが、実際には子供が三人いる。
「君の手がささやいている」第九巻の巻末で実際の野邊夫婦のことが描かれている。

ダンナさんのことを「お酒スキ」と書いてあるのは本当。これは二人が結婚する前の話だが、僕もいっしょに多摩川の河原で酒盛りをしたことを覚えている。その時に博文さんが酔っぱらって川にはまってしまい、全身ずぶぬれになったために、徹夜するつもりだったのがお開きになった。……写真とっとけばよかったなぁ。
ともに世田谷区に住んでいた頃は、呑み友達としてつきあっていた。ちなみに、僕からの結婚祝いの品は「菊姫 大吟醸」だった。

[夫が耳の聞こえない妻を呼ぶのに使っている謎の道具] 「君の手がささやいている」第九巻 168頁

ここに出した絵は、ダンナが耳の聞こえない奥方を呼ぶのに使っている道具。軽部潤子先生は、タオルで包んであった中身が何なのかわからなかったようだが、僕からの問い合わせで中身がわかった。「みかん」だそうである。
これを使うのはダンナさんだけで、子供は使わないそうだ。「子供たちはまねしていません。エライでしょ」……そーなのか。

マンガやテレビで人気が出てしまった影響について質問した。年三~四回講演に行ったり、相談事を受けたり、文通したりしているそうだ。
なお、僕に「紹介してくれ~」などと依頼しないでほしい。人に紹介する気は無い、と明言しておく。

軽部潤子先生も、僕が手話講習会の運営委員をしている時に会った事がある。当時は、手話講習会の受講生だった。
面白いネタを持ってるんだけど、マンガに出ていないプライベートなので、書くわけにはいかない……。ここでは一つだけ紹介しておく。マンガで公開済だから書けるのだ。

[助産婦の川島さん] 「君の手がささやいている」第二巻 145頁

「君の手がささやいている」第二巻で、川島助産院で子を産むことになる。この「川島」、実は手話講習会の講師の名前なのだ。マンガではおばあさんの助産婦となってるが、実物は若くて東京都でも腕利きの手話通訳者である。
運営委員だけでなく、自分の手話の先生もマンガに出しているわけだ。

コーダとしての千鶴

娘の千鶴を中心にした話がけっこう多い。

耳の聞こえない親を持つコーダの話と見ることもできる。父親は健聴なので、厳密な意味のコーダ(CODA: Child Of Deaf Adult 両親が聴覚障害者の子供)とは言えないのだが、このマンガでは母親の影響が強いためか、娘の千鶴はコーダとかなり共通する悩みを持つ。
両親が耳が聞こえない場合、子が親の耳代わりにさせられることはよくある。そして耳が聞こえない親を持つことに悩み、他の健聴者とは異なるアイデンティティを持つようになる。これがコーダだ。

[「見られるのやだもん」と泣く千鶴] 「君の手がささやいている」第四巻22頁より

小学校一年生になった千鶴。
学校で母が耳の聞こえないのをからかわれたりしており、授業参観に、耳の聞こえないママが来るのをいやがる。千鶴も、本当は良くないことだということはわかっている。
親も娘も、せつない場面である。

このマンガでは、学校で千鶴をからかっている子をあえて家に呼び、母と娘との手話の対話を見せる。コミュニケーションにとまどう子に、手話を教えることを通じて娘と仲良くなる。
実際には、なかなかこうはうまく行かないだろう。

この後も、耳の聞こえないママを知られるのをいやがるシーンが何度かある。これは思わぬ長期連載でネタ探しに苦労したあげくに、結局似たようなテーマを描いたのだろう。

このマンガの千鶴は厳密な意味でのコーダとは違うのだが、コーダを描いたと言えるマンガは、他には全くない。

人工内耳

[「千鶴の耳のへたくそ」と叫ぶ千鶴、人工内耳を装着している] 「君の手がささやいている 最終章」第三巻50頁より

「君の手がささやいている 最終章」で失聴するとは、千鶴ちゃんもかわいそう。
耳の聞こえない親のために手話通訳にこき使われたり、なまじ障害者に慣れてるために知恵遅れの子とつきあって仲間はずれにされたりと、このマンガではあまりいい目にあってないのに、この上さらに失聴かい。

でまあ、人工内耳をつけることで聴力を取り戻すのだが、元通りに聞こえるようになるわけではない。SFにあるようなサイボーグとは違うものなのだから。
僕も初めは、人工内耳で聞こえるようになるとはスゴイ技術かも知れない、と思っていた。しかし展示会で人工内耳に使う機器を実際に見て、そんな万能なものではない事をいっぺんに理解した。そこには従来の補聴器と似た機器があった。
「ああ、人工内耳でもこんな機器が必要なのか」

このマンガは、人工内耳がどういうものなのかをよく伝えている事で、よくできていると思う。とはいえ、人工内耳については聴覚障害者の間でも議論があるし、抵抗を感じる人も多い。今なおホットな話題でもあり、まだ結論は出ていない。

余談

「新・君の手がささやいている」第一巻の後書きを読んで、「うーん」と思ってしまった。そこには、釣りとゴルフを始めた話があったのだ。釣りのほうは、何を釣っているのかは描いてないが、道具から見るとどうもバス釣りくさい。

僕はゴルフとバス釣りが大嫌いなのだ。ともに自然破壊につながり、社会問題を抱えているから。やってる当事者がちっとも反省しないところも、商業主義の臭いがやたらにするのも同じ。だから、近年のゴルフ場倒産続きについては「これでやっとマトモな状態に戻れる」と喜んでいるくらいだ。
どちらも自然とはほど遠いものなのに、「自然が好きになったのかな」という文があるのには、あきれてしまった。「ああ、軽部さんも堕落してしまったのか……」

[バードウォッチングで聴障者と会話する] 「新・君の手がささやいている」第十二巻167頁より

だがまあ、釣りとゴルフは長続きしなかったようで、この後の後書きには出てこなくなっている。
代わりに、バードウォッチングを始めたようだ。第十二巻で、ウォッチング先で耳の聞こえない人との出会いがあった話も描いてある。最終章第三巻でも、ちらっとバードウォッチングの話が出ている。

うん、バードウォッチングなら問題なし、オッケーだ。ここまでやっていれば、おのずと自然に関する知識も増えているはずだから、ゴルフとバス釣りを自然豊かなものと考えるようなトンチンカンはもうしないだろう。
この方向で、心豊かに自然を楽しんで行ってほしい。