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「ピアニシモでささやいて」の続編になる。ミュージカル界の女王とまで言われるほどの歌手となった
「ピアニシモでささやいて 第二楽章」第6巻 6頁
その復帰の途上で、耳の聞こえないピアニストの少女、高橋はる に出会う。
この章は博物館の自動演奏楽器で始まるのが、象徴的である。
バリアフリーコンサートに出演する高橋はる、その母から須佐朱に歌ってほしいという依頼が入る。会ってみた朱だが、「お上手ですけど…」「はるさんが楽しそうではないから」と、一度は断る。が、いたずらに弾いていたはるのピアノを偶然聞いて、「あなた… 本当は音楽好きでしょう!!」「どうしてあんなつまらなさそうに弾くの!!」とつめよる朱に対して、「私は自動演奏器だから」と冷たく答えるはる。
「ピアニシモでささやいて 第二楽章」第6巻 33頁
これで逆にやる気になってしまう朱。はるとケンカを繰り返しながらも高橋宅にかようのをやめない。
はるは、口話で話し、家庭では手話を使わないよう母から教育されている。ピアノもその延長線にあり、「きこえないのに上手に弾ける」ことを求めても、「それ以上のことは望んでない」と言う母。
「はるの中に音楽?」「あるわけないじゃない そんなもの きこえないんだから」
母にそう決めつけられて、落ち込むはる。
「すきなのに 思い知らされるだけ」「私に 音楽は ない――」
が、はるを日輪のライブにムリヤリ連れてきて、はるにも音楽があることを見つける。はるの場合は、音楽が頭の中ではきれいな譜面としてイメージされていた。「譜面が うかぶ…の…」「音符が…メロディ譜が見えてくるの…」
「はるが見て美しいと感じる譜面は 私がきいて美しいと感じる曲だからよ!!」と請け合う朱。
日輪のライブを見て「リズム見える わかるよ」。そうしてライブを楽しむはる。
「ピアニシモでささやいて 第二楽章」第6巻 146頁
そしてバリアフリーコンサートに、朱とはるは出演する。そしてはるは、ピアノの演奏のあとで、みずから歌を歌い、会場を巻き込んだ合唱となる。
はるのコンサートを聴いていた母は、自分の都合ではるに押しつけていたことを反省して夫との離婚を決心し、はるとともにやり直すこととなる。
この後もはるは登場するが、単なる脇役となっている。はるを中心とした話は、この第6巻一冊に収まる。
このマンガ、オススメかどうかは、人による。というのは、安っぽい感動に流されたくないという人だっているわけで、そう言う人にとっては、別にどうってことのないマンガとなる。逆に、感動できる女性マンガを求める向きには、オススメできる。
それよりもこのマンガの特色は、耳の聞こえない人がピアノを弾き、歌を歌うところにある。しかも、耳の聞こえない人にとっての音楽とは何なのか、という重いテーマ付きで、だ。当然、手話コーラスなんて安易な方向には逃げない。この点で、他に類例のないマンガになっている。
実は、この章には協力者がいる。
耳は聞こえないが、音楽が好きな女の子だ。高橋はるのモデルになっている。彼女の体験、考え方が反映されている。僕は一度も会ったことはないが、何度かメールでやりとりしたことがある。ちなみに、彼女は LaLa DX で連載中の「金魚奏」(ふじつか雪)にも協力している。ビッグコミックスピリッツ「ボーイズ・オン・ザ・ラン」(花沢健吾)にも、いくらか反映されているかも知れない。
この彼女の存在が、このマンガの内容にリアリティを与えている。
耳が聞こえない、音楽がない、と言われながらもそれでも音楽が好きだ、という悩み。それでも、耳が聞こえないという障害を受容し、自分には音楽がある、と主張する。彼女の場合は、マンガと同じように音譜が本当に音楽のイメージになっているらしい。
実は聴覚障害者自身、音楽に対する姿勢がまちまちなのだ。「耳が聞こえないんだから、当然音楽がないにきまっている」とわりきる人もけっこういる。でも僕自身は、そうではないと思っている。だって、カラオケが好きなろう者がけっこういるじゃないか。音楽を聴くという楽しみはもてないけど、音楽をやる方は楽しんでるじゃないか。
実は、ろう学校で音楽教育に取り組んでいる教師でも、同じ意見なのだ。
「ろうの生徒に音楽を教えるのは意味がある」
実際、生徒達は聞こえないにもかかわらず、音楽を楽しんでいる。
※ 参考文献 「日本のろう学校における音楽科教育の現状と諸問題」加藤晃生 「障害学研究2」(明石書店)
どんなものからでも、マンガからでも学び取ろうという貪欲な姿勢を持っている、手話での音楽に取り組む人ならば、このマンガをオススメする。大事なヒントがあるのだ。
「ピアニシモでささやいて 第二楽章」第6巻 100頁
キーワードは「リズム」。
手話歌できちんと音楽を伝えている人たちは、実はリズムを見せる工夫をしている。
やり方は実にさまざまで、首のうなづきで見せたりするし、バックのスクリーンに投影した画像で見せたりもする。リズムを視覚化することで、耳の聞こえない人達を音楽に乗せることができる。リズムなら、耳が聞こえなくてもわかるのだ。
多くの手話コーラスは、このリズムの重要さを見落としている。とにかく手話に表情を込めたり、きれいな動きを見せようとしたりする。が、たいていはリズムを見せる工夫がないために、耳の聞こえない人達を音楽に乗せるのに失敗する。かえって手話ネイティブのろう者には、わざとらしさしか感じない、間違った手話表現で意味すらわからないものになってしまう。
もちろん、リズムを見せるだけで「音楽が伝わる」なんて単純なものではない。他にもさまざまな工夫がある。しかし、この「リズムを見せる」ことの重要さは、多くの手話コーラスをやっている人達にとっては目からウロコだろう。
ここで、手話コーラスをやっている人達に、言っておきたいことがある。
真面目に、耳の聞こえない人に音楽を伝える手話歌・手話コーラスに取り組んでいる人達は、自分のコンサートにろう学校の生徒達を招待している。彼らも、音楽教育が大事なことを知っているのだ。
あなた達は、ろう学校の生徒達を自分のコンサートに呼ぶ自信がおありだろうか。
[記:2007年1月16日]
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