琉球の南宋画の名人

自了(じりょう)[城間清豊(ぐすくま せいほう)] (1614-1644)
文献に現れる沖縄最初の画家は城間清豊(雅号 自了)という南宋画家、ろうあ者である。
その絵画は冊封史を感嘆させ、また琉球の使いが江戸に携えた絵を見て狩野安信が賞賛したという。
惜しくも三十歳の若さで没する。太平洋戦争の沖縄戦で多くの絵が焼け、残っている作品は少ない。

作品紹介

「草庵の画家」―天才画家・自了(城間清豊)伝―

橋口まり子
「おきなわコミック」1988年3月号 掲載、24頁の短編。

[自了、ほほえむの図] 「草庵の画家」(おきなわコミック3月号) 169頁

農民の若者が自了に弟子入り。だが、描く絵がなかなか自了に気に入らず破り捨てられる。行き詰まり悩む中で、ようやく初心に返り自由奔放に描いた絵を見て自了はほほえむ。それを見て若者は「わたしは今まで絵を描いていたのではなく……ただ線を引いていただけなんだ……」と悟る。

隠遁していた自了を見つけだした中山王府は、描きかけのままになっていた屏風の虎の絵を完成させるよう、強要する。「ただ残すところ瞳のみではないか!」それでも自了は描くのをしぶる。見かねた弟子は、代わりに自分が瞳を入れさせてもらうよう願い出る。
瞳を入れたとたん、虎が絵の中から飛び出した!

[自了、筆で虎退治の図] 「草庵の画家」(おきなわコミック3月号)179頁

あわてふためく人々の中で自了、虎の足に縄を付けて縛る絵を描き入れて騒ぎを静める。
その後、弟子は言う。「私は…器ではないかもしれません……でも…」
「先生の得られた絵の神髄を……会得したいのです……」

評論

沖縄に住んでいる方から、このマンガを教えてもらった。不覚にも、「おきなわコミック」なんて郷土マンガ誌があるなんて事は知らなかった。今はもうないらしいが。

実はこのマンガ、自了をろうあ者とは描いてない。
「生まれつき口が不自由での…じゃがその分、絵の感性はするどかったようじゃ…」と書いており、ろうあ者でなくて言語障害者という描写になっている。実際、人からの話は通じているように描かれている。
これについては、このマンガを教えてくれた人によると、「口が利かない人で独学で絵を学んだ」と書かれた本があるそうで、それを参考にしたのではないかという。

現在でも、絵や工芸などに才能を発揮しているろうあ者はいるので、琉球最初の画家がろうあ者だというのはありそうな話だ。このマンガは、沖縄で伝えられている自了の伝説を元にしているのだと思う。