聴障の野球職人

山本 和範 (1957-)
1977年に福岡・戸畑商から近鉄に入団。しかし一軍に上がれず一九八二年に自由契約となる。
1983年に南海に入団、ここでようやく打力を発揮してみせるようになり、打撃の職人として活躍する。
1996年、近鉄に移籍。
1999年、引退。
なお、片耳が聞こえないという聴覚障害を持つ。

作品紹介

「あぶさん」

水島新司
ビッグコミックス「あぶさん」第31~70巻 (小学館)

今さら僕が紹介しなくても、「あぶさん」を知ってる人は多いだろう。一九七三年に連載開始だから、もう三十年連載が続いている長寿マンガだ。まあ一応、知らない人のために簡単に紹介しておく。

「あぶさん」というニックネームで呼ばれている飲んべえのプロ野球選手が主人公で、ずっと南海(→ダイエー→ソフトバンク)に在籍している。本名は景浦安武、名前の「やすたけ」を読み替えて、かなり度の強い酒「アブサン」に引っかけている。
あぶさんとその家族は架空の人物だが、マンガに出てくる他のプロ野球選手はすべて実在である。そのため、あぶさんも実在する選手だと思い込んだ人もいたようだ。

連載開始した当時は、成人向けのマンガは劇画調の絵柄でないと売れないと思われていた。この当時の常識を打ち破って、マンガ的な絵柄で成人マンガ誌に連載、人気を勝ち取った作品である。
この「あぶさん」に出てくる実在のプロ野球選手の中でも特に好意的に描かれているのが、山本和範選手だろう。

[雨の中、南海のスカウトと交渉した後の図、スカウトたちは耳がハンデになることを話し合っている] ビッグコミックス「あぶさん」第31巻 第5章「一寸の虫にも」105頁

最初に出てくるのがこの「一寸の虫にも」で、マンガの中でも耳が不自由なことがハンデになっていることが描かれている。もっとも全く聞こえないわけではなく、片耳が聞こえないだけで、補聴器なしで人との会話ができている。

しかし、野球の守備では耳で打球を聞いて一瞬のうちに方向を判断したりする。耳が聞こえないと、この判断が一瞬遅れるそうだ。この点は他の野球マンガ「遥かなる甲子園」でも指摘されている。これだけでなく、プロ野球ではフライを目で追いながら、観客の歓声を聞いてフェンス際に来ているかどうかを判断したりもするという。
近鉄にいたときも、打力があることは認められながらも、この守備面での不安から一軍に採用されなかったのだろう。

近鉄をクビになっても野球をあきらめず、南海に入団。ハードな練習を続けて急性肝炎で一ヶ月入院したほど。努力を続けて一九八四年七月に月間MVP賞を獲得。

「一寸の虫にも」は、この苦労人である山本和範の物語となっている。

[温泉で安武・景虎親子と引退試合を語る図] ビッグコミックス「あぶさん」第70巻 第5章「ガッチュ恋の宿」101頁

「あぶさん」で山本和範が出てくる最後のものがこの「ガッチュ恋の宿」。
あぶさんが冬季キャンプに利用している温泉宿に、山本和範を招く。この頃山本は近鉄を引退したばかり。ここで、あぶさんは野球への復帰を勧める。

作者・水島新司も、山本和範のファンなのだろう。引退を惜しんでの山本和範へのメッセージとも読める。

山本和範が主役扱いとなっているのはこの二編だが、他にも出ているシーンがある。あぶさんと同じ南海にいたときは、チームメイトとして何度も登場している。チームを盛り上げるムードメーカーの役割が多いようだ。

評論

うーん、他の偉人はともかく、今も存命中の人物なのだから書きにくい……。
正直、「聴覚障害者の出てくるマンガ」に入れるか「マンガに見る偉人伝」に入れようかと迷った。

聴覚障害があったがための苦労をしてきた人であることは確かだと思う。しかし、聴覚障害者としてのアイデンティティは、たぶん持っていないと思う。人の話が聞きづらいということはあるようだが、聞こえないわけではない。一応、人とのコミュニケーションは成り立つ。聴覚障害としてはかなりの軽度なのだ。
健聴者とコミュニケーションがとれないことで悩み苦しんできた聴覚障害者とは、この点でアイデンティティを異にしていると思う。だから正直、僕としては山本和範に感情移入しにくい。たぶん、多くのろうあ者も同じ感想を持つのではないかと思う。

聴覚障害の仲間だと認めることができるボーダーラインが、「白球、夢に届け」に出てくる難聴児の西田さんだと思う。補聴器がないと会話できないのだから。
なので、山本和範については、このウェブページにおける「遥かなる甲子園」シリーズとは別のものとして扱わせてもらうことにした。しかし、軽度とは言え、聴覚障害を乗り越えてのプロ野球での活躍は立派と思う。故に、偉人伝の欄に入れることにした。